小学校の時ラジオとアンプを自作したことから音楽に興味を持つ。中1の時拾ってきたギターにギターマイクを取り付け、自作のアンプで歪ませた音で初のオリジナル曲を作る。ドラムスの野口とは小中高と一緒で、中学の時ビートルズやThe Whoのコピーバンドを始める、高校ではツェッペリンなどブリティッシュロックにはまる。大学からキーボードを始めバンドにも加入するが、モノフォニックシンセを手に入れ多重録音にのめり込んでいく。曲のコード進行が変態だとよく言われる。最近の音楽活動としては、42歳年下とのユニット夏澄kasumiの音源制作、ソロギタリストkoyuki、南佳孝のアルバムDear My Generaltionのプロデュースを手がける。また、音楽エンタメ産業の基盤を提供するアーティストコモンズ、日本の音楽の系譜をまとめる音楽アーカイブ構築などの活動を行なっている。
小学校の頃から音楽に興味を持ち、ベースの中島と同じ中学校になると亀渕昭信のカメカメポップスについて語り合うようになり、グランド・ファンク・レイルロードのハートブレイカーなどをコピーするバンドを結成する。高校になると、BBキング、マディ・ウォーターズ、バディ・ガイ、ジュニア・ウェルズ、マジック・サムなどブルースにどっぷり浸かる。そして、橋本とも出会い、はっぴいえんどやシュガーベイブなどの曲にも影響を受けるようになる。その後、斎藤誠と交流ができポップス系のメロディメイカーとしてのセンスを蓄えていった、ブルースのグルーヴとポップな感覚を兼ねそなえた、唯一無二のボーカルとギターだったが、2006年12月に生涯を終える(享年49歳)
4歳から12歳までクラシックピアノを習い、ソルフェージュの訓練も受けて聴音ができる様になり、絶対音感も付いた。中学時代からフォーク・ロックに興味を持ち始め、ギターを独学で始める。遠藤賢司・岡林信康など当時のフォーク、ビートルズからクリームなどブルースロックを聞き始める。そして、はっぴいえんどにのめり込む。高校時代に出会ったベースの中島と遊ぶようになり、彼の中学時代の友達の中村(キヨ)も一緒にバンドをやるようになる。その影響でブルースに浸るようになる。一方、シュガーベイブによっておしゃれなメジャーセブンやテンションコードを知ることになった。大学ではラリー・カールトンなどジャズ・フュージョン系のギタリストにも心酔する。ステディな演奏によってPresentsのサウンドを支えている。
中学からキヨと一緒にギターで遊びはじめ、センスを感じる彼がいたからこそ、自然とベース担当になった。ビートルズを教えてもらい、ごみ捨て場においてあったGuyatoneのギターやドラムでバンドを作り、グランドファンクを一緒にやり、という中学時代。その後、高校の仲間を交えシカゴブルースに傾倒していくのだが、常にボーカルとリードギターは“キヨ”、中学、高校のスタジオは一貫して中島の自宅だった。大学卒業後30年近く楽器から離れていたが、現在ではジェイムス・ジェマーソンやロバート・ポップウェルなどをなぞるのが趣味となっている。ブルースで培ったグルーヴとメロディアスで歌心のあるベースが、このアルバムの大きな魅力になっている。
音楽との出会いは幼稚園のヤマハ・オルガン教室。GSブーム時にテレビに映るドラマーに憧れる。中学で三浦とバンドを組みビートルズの曲などを演奏する。その後、高校でも英国ハードロックを中心のバンドを三浦と結成、少しずつ音楽性が変化し、プログレにも影響されたオリジナルを手がけるようになる。高校卒業後はクラプトン、スティーリー・ダンから次第にクロスオーバやジャズにも耳を傾け、スティーヴ・ガッドに心酔するようになる。Presentsではシンプルだが、グルーヴのある着実なドラムプレイを披露している。社会人になりしばらく音楽から離れていたが、数年前中学の同級生から「自宅の地下室でバンドやろう」と声をかけられ大学時代のバンドの所属するサークルのOB会などの音楽活動を再開している。
三浦、野口とは小学校の同級生で、その頃ラジオから流れてくる外国の曲を聴くのが好きだった。英語、イタリア語、フランス語・・・、意味も分からずカタカナに直して口ずさんでいた。中学、高校生になるとビートルズや外国映画の楽譜を買い、ピアノやギターの弾き語りをしていた。短大生時代にバンドでヴォーカルを担当、ジョニ・ミッチェルの「Miles of Aisles」と吉田美奈子の「Flapper」がバイブルとなった。社会人になり、20年近くブライダルプレイヤーとして結婚式場でエレクトーンを演奏した。縁ありカンツォーネを歌い始めたところ、8回、12回、13回太陽カンツォーネコンコルソで審査員特別賞、第17回には第3位受賞、ダイナミックなメロディとイタリア語の心地良さがしっくりきて、現在も歌い続けている。
中村清明(キヨ)・中島猛と中学校の同級生、三浦文夫・野口匡とは高校の同級生。小学生の頃から洋楽に興味をもち、中学生の時はハードロックにハマる。高校生の時に高円寺のロック喫茶「キーボード」に入り浸り、その頃に橋本俊哉(チャー坊)とも知り合う。3歳から15歳まで習っていたピアノでキャロル・キングの弾き語りなどしてひとり遊びをしていたが自ら音楽活動はせず、中村・橋本・中島のバンドを横で見ていたという立ち位置。彼らの音楽の好みに大いに影響される。学生時代の記念にアルバムを制作するにあたり、コーラスとして招集される。オリジナルのアルバムのイラスト、アートディレクションも担当、現在はコピーライター、画家として活動中。