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80’s Tokyo City Pop! 奇跡のプライベート・プレス音源 Feeling Like A Child が42年を経て遂に発掘!中野~練馬の幼馴染が集い、卒業制作的にひっそりと録音された全9曲

正統派シティポップな内容が、中古レコード店スタッフの目に留まり、録音から42年経過した2022年11月3日、CD/アナログレコード/配信の3形態で新装リリース! 永井博の手によるアートワーク 解説は栗本斉

音楽の感度もセンスも良い、探せばこういう人達がいたんだね、素晴らしい!

今と違って何もない時代にここまで宅録でやったとは驚き! 

南佳孝

     

よくまあ、こんな作品が埋もれていたものだ。タイトでグルーヴィーな演奏とポップなメロディ、楽曲によって入れ替わるヴォーカルが織りなすスタイリッシュなナンバーは42年後に聴かれるために作られたとしか思えない。1980年産の極上ポップス。新たにジャパニーズ・ポップス史に刻まれることになったPresentsの傑作を、じっくり堪能していただきたい。 

栗本斉 (旅&音楽ライター/選曲家)

リリース情報・クレジット

2022年11月3日発売

Presents

三浦文夫 Fumio MIURA Keyboards, Percussion, Vocal
中村清明 (キヨ) Kiyoaki NAKAMURA Guitar, Vocal
橋本俊哉 (チャー坊) Shunya HASHIMOTO Guitar, Percussion, Vocal
中島猛 Takeshi NAKAJIMA Bass, Vocal
野口匡 Tadashi NOGUCHI Drums, Percussion, Vocal
日比野礼子 Reiko HIBINO Vocal, Chorus
山﨑有里子 (ユリッペ) Yuriko YAMAZAKI Chorus

USHI Band Horn Session
佐々木慎介 Shinsuke SASAKI Trumpet, Brass Arrange 河田年勝 Toshikatsu KAWADA 島村たけし Takeshi SHIMAMURA Alto Sax 中島一郎 Ichiro NAKAJIMA Tenor and Soprano Sax

Producer, Recording Engineer: 三浦文夫 Fumio MIURA
Mix & Mastering Engineer: 湯原大地 Daichi YUHARA

Recording Studio: 東中野の三浦君の部屋 (東京都中野区)
Mix Studio: 関西大学ソシオ音響スタジオ (大阪府吹田市)
Mix & Mastering Studio: STUDIO YOU (大阪府吹田市)
Analog Tape Digital Convert: スタジオ1812 (兵庫県西宮市)

Recording Date: 1980年3月10日〜23日

Special Thanks: 後藤治、岡田忠文、佐藤文哉、斉藤孝仁、中島敏宏、小島一雄、川口哲生、加藤昌一、小林薫、池田のどか、三浦家の人々

2022 Reissue Staff

Producer: Fumio Miura
illustration: Hiroshi Nagai
Art Direction & Design: YOXXX
Art Work Coordination: Hirohisa Nakamura (4TR Inc)
Supervisor: Masato Komatsu (HMV record shop/ Lawson Entertainment, Inc. )

Special Thanks: Yukinari Yuwata (Crusic)
Licensed by SOYOGO record / FM Lab, Inc
Manufactured & Distributed by HMV record shop. A division of Lawson Entertainment, Inc. (LP)
Manufactured & Distributed by 4TRACKS RECORDS. / 4TR  Inc. (CD)


楽曲紹介試聴

ニューヨークなんて行かない

作詞作曲 中村清明 Vocal 中村清明

キヨ(中村清明)のポップセンスが光るCity Popの王道的作品、イントロとオブリガートのギターはチャー坊(橋本俊哉)、リズムギターはキヨ。後から考えるとイントロは7拍 x 2、4拍 x 1+ 流してドラムのスタート待ちという複雑な構成。録音時は多分こんな感じ、という作曲者であるキヨとの会話によって決めていったと思う。オープニングのシンセ(YAMAHA CS-30) はアナログシーケンサー(ボリュームが並んでいる)で作成、日比野礼子とユリッペ(山﨑有里子 )のコーラスが効果的

One Night Darling

作詞作曲 中村清明 Vocal 中村清明

チャー坊のファンキーなイントロが印象的なナンバー、キヨが当時好きだった子を思い浮かべて作った(と思われる)シャイなラブソング。曲中の短音ミュートバッキング、オブリガート、アウトロのギターも全てチャー坊、フェイザーをかけたバッキングはその頃流行っていたSTUFFのエリック・ゲイル風にした。三浦のエレピは全曲、フェンダーのステージピアノを使用。ブラスセクションとドラムのタイミングを合わせるのに苦労した

Forget and Forgive

作詞作曲 中島猛 Vocal 中島猛 Chorus 山﨑有里子 

当時中島が乗っていた赤い車が目に浮かぶ都会的なナンバー。ガットギターでメジャー・セブン・コードを弾きながら四畳半の自分の部屋で作った。タイトルは辞書をパッとめくったときに目に入った熟語。新宿に向かって中央フリーウェイ深夜逆走メローバージョンをイメージした。イントロのエレピはMXRのPhase100を思い切りかけてシュワシュワしている、エリック・ゲイル風イントロ・バッキングはチャー坊、STUFF好きだったものでつい・・ソロギターと以降のオブリガート・アウトロはキヨ、キヨのソロは歌ごころ満載のメロディー、中島のベースと野口のドラムが気持ちの良いグルーヴを醸し出している。

ほほえみの中で

作詞作曲 三浦文夫 Vocal日比野礼子 Chorus 山﨑有里子

「分かっているんでしょ、安心させてよ」という女心を表現したつもり、当時は部屋でタバコを吸うのが当たり前だった。日比野礼子のボーカルとユリッペのコーラスが心地良い。イントロ、オブリガート・ソロのキヨのギターは秀逸、音色とメロディがこの曲の大きな特徴になっている。サビ前のチャー坊のバッキングギターの「チャカボーン」の音が時代を感じる。

Feeling Like A Child

作詞作曲 三浦文夫 Vocal 中村清明

大学時代は白い117クーペに乗っていて、キラー通り沿いのビクター青山スタジオの近くにあったChicというスノッブなCafe Barに向かっている情景を曲にした。全面的に出てくるモータウン調バッキングはチャー坊。キヨのボーカルとブラスの絡みが心地良い。「深い闇から~」のBメロはFmからB△まで降りてきて、更にF#mからG△まで降りてくるという三浦独特の「深い闇」に即した変態コード進行が大きな特徴になっている。間奏の中島のベースのフレージングは歌心がある。

Dim

作詞作曲 三浦文夫 Vocal 日比野礼子

宅録の習作として作った曲、ボサノバリズムのアコースティックギターはチャー坊、エレキギターバッキングはキヨ。これも想定外のコード進行の三浦式変調山盛り、さわやかな日比野礼子の声が怪しすぎるコードの中を静かに進んでいく。ピアノソロはヤマハのグランド、後奏の少しポルタメントがかかったシンセは好きだったGenesisの初期のプログレをイメージした。Apple Musicの空間オーディオ(Dolby Atmos)で聴くと、シンセが360度動き回る。

Morning Beach

作詞作曲 橋本俊哉 Vocal 橋本俊哉

作曲の訓練はしたことがなく作る機会もなかったので、一人一曲作詞作曲と歌縛りという厳しいルールがあって初めて重い腰を上げたのが実態。当時色々考えたが、ポップ調のメロディーは浮かばず、イントロは結果としてTボーン・ウォーカーのブルースみたいになり、そこから無理やり爽やかなマイケル・フランクス調に持っていった。作詞もしたことは無かったが、大学時代湘南に波乗りに行っていたので、そのイメージを描いてみた。使ったアコギは中学の時に吉祥寺ロンロンの新星堂で買ってもらったフォークギター(ヤイリだったか?)だったはず。アウトロで弾いているエレキギターは他の曲でも全面的に使ったエドワーズ(ESP)の335風セミアコ。間奏はエレピとアコピとそれぞれ録ったが、両方再生すると意外と面白いのでそのままミックスした。フォービートはこの曲だけだが、ドラムもベースもスイングしている。

熱帯夢

作詞作曲 三浦文夫 Vocal 日比野礼子 三浦文夫

アンリ・ルソーの絵画のような現実に存在しない熱帯で繰り広げられる、叶わぬ恋を描いた。個性的で魅力的な日比野礼子のボーカルに三浦が絡む。シンセ(YAMAHA CS30)はモノフォニック(単音しか出ない)ので、何度も重ねてストリングス風のオブリガードを作ったが、不思議な雰囲気を出すことができた。野口がドラムスだけでなく、手作りシェイカーなど色々なパーカッションでラテンフレーバーを醸し出してくれた。バックの短音ミュートバッキングはキヨ、カッティングとソロはチャー坊、間奏のソロは圧巻だが、こんな本人の言い訳「ソロの前半終わりにFmで長3度の音で終わらせているのが不協和音だけど、B♭mの7th音に移る前のパッシングだと解釈して頂きたし」

Cloudy Bossa Nova

作詞作曲 野口匡 Vocal 野口匡

一人1曲作詞作曲縛りと決めたので、好きなボサノバの曲調をギターで思いつくコードを弾いて、メロディーを口ずさむ原始的な方法で作った。作曲したのは歌のあるところだけで、三浦、キヨ、チャー坊にイントロ、ソロパート、エンディングを加えてもらい、曲の構成を整えていった。チャー坊のダブルトラッキングのアコギソロは秀逸!一方、作詞は超難関で、曇り空の見える景色の歌なので、暗い気持ちで、それなりに真剣に言葉を探して繋いでいった。そして歌録り、ボーカルはキヨにお願いしようと思ったが、歯の浮く歌詞を他人に歌わせるのもいかがなものかと考え直し、自分で歌うことにした。この曲のドラムは、ただただシンプルに叩いた。アルバムの最後に余韻を感じる曲に仕上げることができた。

Presents Member Profile

三浦文夫 Fumio MIURA
Keyboards, Percussion, Vocal

 小学校の時ラジオとアンプを自作したことから音楽に興味を持つ。中1の時拾ってきたギターにギターマイクを取り付け、自作のアンプで歪ませた音で初のオリジナル曲を作る。ドラムスの野口とは小中高と一緒で、中学の時ビートルズやThe Whoのコピーバンドを始める、高校ではツェッペリンなどブリティッシュロックにはまる。大学からキーボードを始めバンドにも加入するが、モノフォニックシンセを手に入れ多重録音にのめり込んでいく。曲のコード進行が変態だとよく言われる。最近の音楽活動としては、42歳年下とのユニット夏澄kasumiの音源制作、ソロギタリストkoyuki、南佳孝のアルバムDear My Generaltionのプロデュースを手がける。また、音楽エンタメ産業の基盤を提供するアーティストコモンズ、日本の音楽の系譜をまとめる音楽アーカイブ構築などの活動を行なっている。

中村清明 Kiyoaki NAKAMURA
Guitar, Vocal

 小学校の頃から音楽に興味を持ち、ベースの中島と同じ中学校になると亀渕昭信のカメカメポップスについて語り合うようになり、グランド・ファンク・レイルロードのハートブレイカーなどをコピーするバンドを結成する。高校になると、BBキング、マディ・ウォーターズ、バディ・ガイ、ジュニア・ウェルズ、マジック・サムなどブルースにどっぷり浸かる。そして、橋本とも出会い、はっぴいえんどやシュガーベイブなどの曲にも影響を受けるようになる。その後、斎藤誠と交流ができポップス系のメロディメイカーとしてのセンスを蓄えていった、ブルースのグルーヴとポップな感覚を兼ねそなえた、唯一無二のボーカルとギターだったが、2006年12月に生涯を終える(享年49歳)

橋本俊哉 Shunya HASHIMOTO
Guitar, Percussion, Vocal

 4歳から12歳までクラシックピアノを習い、ソルフェージュの訓練も受けて聴音ができる様になり、絶対音感も付いた。中学時代からフォーク・ロックに興味を持ち始め、ギターを独学で始める。遠藤賢司・岡林信康など当時のフォーク、ビートルズからクリームなどブルースロックを聞き始める。そして、はっぴいえんどにのめり込む。高校時代に出会ったベースの中島と遊ぶようになり、彼の中学時代の友達の中村(キヨ)も一緒にバンドをやるようになる。その影響でブルースに浸るようになる。一方、シュガーベイブによっておしゃれなメジャーセブンやテンションコードを知ることになった。大学ではラリー・カールトンなどジャズ・フュージョン系のギタリストにも心酔する。ステディな演奏によってPresentsのサウンドを支えている。

中島猛 Takeshi NAKAJIMA
Bass, Vocal

中学からキヨと一緒にギターで遊びはじめ、センスを感じる彼がいたからこそ、自然とベース担当になった。ビートルズを教えてもらい、ごみ捨て場においてあったGuyatoneのギターやドラムでバンドを作り、グランドファンクを一緒にやり、という中学時代。その後、高校の仲間を交えシカゴブルースに傾倒していくのだが、常にボーカルとリードギターは“キヨ”、中学、高校のスタジオは一貫して中島の自宅だった。大学卒業後30年近く楽器から離れていたが、現在ではジェイムス・ジェマーソンやロバート・ポップウェルなどをなぞるのが趣味となっている。ブルースで培ったグルーヴとメロディアスで歌心のあるベースが、このアルバムの大きな魅力になっている。

野口匡 Tadashi NOGUCHI
Drums, Percussion, Vocal

 音楽との出会いは幼稚園のヤマハ・オルガン教室。GSブーム時にテレビに映るドラマーに憧れる。中学で三浦とバンドを組みビートルズの曲などを演奏する。その後、高校でも英国ハードロックを中心のバンドを三浦と結成、少しずつ音楽性が変化し、プログレにも影響されたオリジナルを手がけるようになる。高校卒業後はクラプトン、スティーリー・ダンから次第にクロスオーバやジャズにも耳を傾け、スティーヴ・ガッドに心酔するようになる。Presentsではシンプルだが、グルーヴのある着実なドラムプレイを披露している。社会人になりしばらく音楽から離れていたが、数年前中学の同級生から「自宅の地下室でバンドやろう」と声をかけられ大学時代のバンドの所属するサークルのOB会などの音楽活動を再開している。

日比野礼子 Reiko HIBINO
Vocal, Chorus

 三浦、野口とは小学校の同級生で、その頃ラジオから流れてくる外国の曲を聴くのが好きだった。英語、イタリア語、フランス語・・・、意味も分からずカタカナに直して口ずさんでいた。中学、高校生になるとビートルズや外国映画の楽譜を買い、ピアノやギターの弾き語りをしていた。短大生時代にバンドでヴォーカルを担当、ジョニ・ミッチェルの「Miles of Aisles」と吉田美奈子の「Flapper」がバイブルとなった。社会人になり、20年近くブライダルプレイヤーとして結婚式場でエレクトーンを演奏した。縁ありカンツォーネを歌い始めたところ、8回、12回、13回太陽カンツォーネコンコルソで審査員特別賞、第17回には第3位受賞、ダイナミックなメロディとイタリア語の心地良さがしっくりきて、現在も歌い続けている。

山﨑有里子 Yuriko YAMAZAKI
Chorus, Original Art Work

 中村清明(キヨ)・中島猛と中学校の同級生、三浦文夫・野口匡とは高校の同級生。小学生の頃から洋楽に興味をもち、中学生の時はハードロックにハマる。高校生の時に高円寺のロック喫茶「キーボード」に入り浸り、その頃に橋本俊哉(チャー坊)とも知り合う。3歳から15歳まで習っていたピアノでキャロル・キングの弾き語りなどしてひとり遊びをしていたが自ら音楽活動はせず、中村・橋本・中島のバンドを横で見ていたという立ち位置。彼らの音楽の好みに大いに影響される。学生時代の記念にアルバムを制作するにあたり、コーラスとして招集される。オリジナルのアルバムのイラスト、アートディレクションも担当、現在はコピーライター、画家として活動中。

野口匡 橋本俊哉 三浦文夫 中島猛 中村清明

三浦の7畳の部屋での録音風景

コラム

キヨに捧ぐ  山﨑有里子

「キヨが生きていたらどんなに喜んだだろう」
 アルバム “Feeling Like A Child”が42年の時を経て生まれ変わると知ったとき、真っ先に頭に浮かんだのはそのことでした。キヨ、中島君と私は中学校の同級生です。当時からふたりは音楽をやっていて、学校でも目立つ存在でした。高校生になるとチャー坊が加わり、彼らのブルースバンド“MILK HOUSE”は、三浦君、野口君、私が通う高校の文化祭でもB.B.Kingなど渋いブルースを聴かせてくれました。思えばあの文化祭が、”Presents” のメンバーの最初の出会いだったのです。キヨとは家族同然の長い長い付き合いでした。リマスターされた音源を初めて聴いたとき、流れてきた彼の声に思わず目頭が熱くなりました。懐かしいキヨの声やギターが聴きたくて何度繰り返し音源を流したことか。キヨが作ったA面の最初の2曲は、今聴いても新鮮で本当にいいのです。音楽を愛してやまなかったキヨ、あなたの生きた証がこんな素敵なアルバムになって蘇ったよ! 

中村清明 橋本俊哉 中島猛 山﨑有里子 @佐賀

レコーディングについて  日比野(蒔田)礼子

小学校の同級生の三浦君と野口君に、レコード制作参加の声をかけていただいたのは、社会人になって1年くらいの頃だったと思う。図々しくも会社の何人もの上司の方々にレコードを購入いただき、今でもお会いするたびに「あの時レイコに無理矢理レコード買わされたよなぁ」と言われている。当時のレコーディングの事はあまり覚えていないが、今自分の歌を聴き直してみると、あまりの拙さで赤面しそうである。でも、何も考えずにただ歌う事が好きでたまらなかったこの頃の自分を思い出し、これからも真っ直ぐ歌に向き合っていきたい気持ちになった。個々の曲も素敵だけれど、皆さんの絆が描かれた一枚の絵画の様に感じられるアルバムではないかと思う。参加させていただいた事、そして今回制作に関わって下さった全ての方々へ感謝申し上げます。

小学校の遠足 日比野礼子 後ろの情けない顔の男子は三浦文夫 野口匡

ドラマーと音楽活動  野口匡

 三浦とは小学5年生の時、同じクラスになり遊ぶようになりましたが、いたずらをしてばかりで将来バンドをやるような気配は微塵もありませんでした。ヴォーカルの日比野礼子も同級生でした。そのころ、巷ではGSブームがで、私はテレビに映るドラム奏者に憧れていました。中学も三浦と一緒で、クラスや学校の音楽発表会で何度かビートルズの曲を演奏し、中3の時に三浦と組んだバンドで人前で初めてドラムを叩きました。ドラムセットを手にするのもこの頃で、三浦がグレイシーのドラムを調達してきたと思います。その後、貯金をおろしてパールのツインタムのサンダーキングを買いました。高校、ここでも三浦と一緒です。三浦はこの頃から多重録音に興味を持ち、私がドラムとボーカル、三浦がギター、ベース(これもギターで)を弾いてThe Whoの「ピンボールの魔術師」を録りました。高校でのバンドは当初、クリームやツェッペリンなど英国のハードロックのコピーが中心でしたが、少しづつ音楽性が変化し、2年の時は三浦がギターとベースを曲によって持ち替え、キーボードとベースを持ち替えるもう一人のメンバーがいて、そこにドラムとういう3人で、ハードロックやプログレに影響されたオリジナルを手がけました。Presentsのメンバーと出会うのもこの頃なのですが、画像は記憶にありますが、音像はあまり記憶にありません。高校ではコーラスの山崎有里子が同級生でした。

 高校を卒業、2年間時間を浪費した後に大学に入り、そこの軽音楽部に入ります。1年の途中で、三浦がメンバーだった他大学の音楽サークルのバンドからドラム加入の誘いがあり、即答で参加することにしました。後にギターのキヨもバンドに入ります。バンドはオリジナル曲が中心でしたが、スティーリーダンやデヴィッド・サンボーンの曲などレパートリーでした。高校卒業後はエリック・クラプトン、ドゥービー・ブラザーズ、スティーリーダンを聞き、次第にクロスオーバやジャズにも耳を傾け、この頃にフェイバリットドラマーのガッドに出会います。Presentsの録音は22歳の時で、三浦が抜けたバンドの活動を続けている時期にあたります。大学に入ってからの自分のドラムセットは当然ヤマハですが、タム類はYD7000シリーズです。スネアは9000、シンバルはパイステとジルジャンのミックスで揃えて、ライブハウスや学園祭に持っていきました。もちろんPresentsの録音もこのドラムセットです。このセットはまだ実家にあり、後述するライブでスネアやシンバルは現役復帰することになります。

 時は経過して数年前、中学の同級生が「自宅の地下室でバンドやろう」と声をかけられ活動を再開しました。前後して、大学時代のバンドの所属するサークルのOB会に誘われて出席し、その後はOB会が主催するライブでもドラムを叩くようになり、現在に至ります。このライブでも三浦と数曲共演しています。

野口匡

フラッシュバック 橋本俊哉

 今になって振り返ると、42年前の22歳の時に超短期間で全員が作詞作曲をし、それを中野区の三浦の7畳の部屋にドラムセットからアンプから持ち込んで2週間でLPレコード用の宅録をした、という事実は信じられないことである。「あの時君は若かった」(by スパイダース)だから成し得たことだったのだろう。もちろんそれを力強く引っ張っていった三浦君の想いとリーダーシップが無ければ成り立たなかったこと。宅録のためにティアックのオープンリールデッキやミキサー、マイクなどオーディオ機器を調達し、3曲は音に厚みを加えるためにブラスセクションメンバーを大泉学園の方から見つけてきて自宅に呼び、ホーンアレンジを準備し、ミキシングをし、安価で請け負ってくれるレコードプレス会社を見つけてLP化する、というプロセスを就職間際の3月末までに完遂させた、という大技であるのだから。

 9曲のそれぞれの楽器パートのアレンジをどうやって決めたか、ということについては記憶が曖昧である。多分それぞれが曲を持ち寄ってその場でああしよう、こうしようと決めていったのではないかと思う。楽曲提供は三浦4曲、キヨ2曲、中島・野口・橋本が1曲ずつであったが、三浦は高校時代からオリジナル曲を作っていたので慣れていたはず、キヨはギターを弾いてもメロディーメーカーであったから自然と湧き出てきたものだろう。しかし、残り3名にとってはたった1曲ずつなのに荷が重い宿題で、期限ギリギリまでできなかったと思う。ただ、この9曲が1枚のレコードになってみると、曲順の効果も大だが、なかなか良い組み合わせだったな、と今になって素直に思えるのである。

 三浦の制作ストーリーにもあるが、42年間の時を経て本人達もほぼ忘れかけていた自主制作レコードが中古ショップに出ていたのを、レコード会社の方が偶然見つけて「誰が作ったんだ?」状態になり、三浦が探し当てられて再発の話が届いた、というシンデレラストーリーの様なことをメンバーの誰が予想していただろうか?もしかして、知っていたのは15年前に他界してしまったキヨだけで、我々を驚かすために送ってもらったプレゼントだったのかもしれない。

三浦文夫 橋本俊哉 中島猛 山崎有里子

このアルバムに再会して 中島猛

 まずは「あぁ、“キヨ”だ!」という懐かしい感覚。中学から高校と10代に最も長い時間をともにしたキヨ。1.4km徒歩20分というお互いの自宅を何度往復したことか。再発に携わっていただいた方々のご努力で、そんなキヨと再会できたことが嬉しい。

 三浦とは高校時代から面識はあったが大学の入学式の時偶然会ってから、よく遊ぶようになった。彼の発案だったと思うが、ミュージシャンとして憧れの「ディーヴァのバックで演奏できる」という企画にのった。短期間集中でスタジオである三浦の部屋に毎日行って練習と録音。文字通りアットホームでお互いの距離感が近いのが音に表れていれば幸い。出来上がったテープ録音のミキシングのために、深夜三浦の白い117クーペで調布まで。コストダウンのために多くの時間はかけられなかったけれど、スティービー・ワンダーを聞きながら行ったのが懐かしい。

 当時22歳、楽器を営業マン用アタッシュケースに持ち替えて・・というほど学生時代に楽器を頑張って弾いていたわけではないが、この録音のあと30年近くほとんど楽器に触らない生活をしてしまった。最近はジェイムス・ジェマーソンやロバート・ポップウェルなど有名ベーシストの演奏をなぞって弾くのが趣味になっている。けれども、当時は好きなベーシストとか誰かの演奏をヒントにしようということを、きちんと考えていなかったのが少々残念ではある。YouTube、楽譜ソフトはもちろんインターネットもない時代。「コードはこれだよね」みたいにベースラインを考えて弾いていたのがいい面もあるか、と思ってあきらめよう。42年前の自分に「もう少ししっかりやれよ」思うところは随所にあるが、あらためて聴いてみると「こんな風に弾いていたんだー」と意外性を感じるところも多かった。

1979年大学4年のクリスマスパーティー 三浦文夫 山﨑有里子 中島猛 @原宿もみの木ハウス